山田たいじゅさん『春日の売茶翁』

2016/08/01

Taijyu Yamada
Baisaou / Kasuga, Gifu
Photo Masashi Kuromoto
Writing Misa Sato

「僕は、高校まで名古屋で過ごし、
東京で30年くらいサラリーマンやっていました。
直近は、パソコンとかTVの組み立てをする会社にいて、
10年程、アジアの工場の部品調達をやっていました。」

そう話しながら、茶畑の案内をしてくれるのは山田たいじゅさん。
お茶とも農業とも全く畑違いの場所からやってきて、
岐阜県の春日村で、耕作放棄茶園の手入れをしながら、
在来種のお茶を販売している人物だ。

 

山田さんの名刺には「春日の売茶翁(ばいさおう)」とある。
「売茶翁」というのは、その昔上流階級の文化だった喫茶の風習を
庶民に広め、お茶を売り歩きながら修行した、
煎茶の祖と呼ばれる禅僧のこと。
身分を問わず、茶代を問わず、禅を説きながら、
いろいろな世の中の出来事などを人々に物語ってきかせ、
庶民に大変人気を博したと言われている。

 

名古屋市内にoh! happy dayという実店舗を構えながら、
各地のマルシェで自らお茶を売り歩く山田さん。
現代版「売茶翁」の話を聞きに、岐阜県春日村に出かけた。

「天空の古来茶」と呼ばれている春日村のお茶。

岐阜県の西端、伊吹山の麓に位置し、
西美濃の隠れ里とも呼ばれた春日村。
朝霧に包まれた茶畑が、マチュピチュの遺跡のごとく
天に浮かんでいるようだというのがその名の由来。

谷を抜ける美しい風、木々の葉ずれの音と川の水音の重なる
風景の中に、小さな集落が点在する。
山々に囲まれた茶畑が急斜面に這うように広がる風景は、
なんだか懐かしいような、琴線に触れるものがある。

「天空の古来茶」と呼ばれるお茶は、
700年の間、村人たちに守られてきた昔ながらの在来品種。
日本全国に数パーセントしか残されていないといわれる、
在来茶畑のお茶は、決して洗練された味ではないけれど、
素朴な雑味と深い余韻が魅力のお茶だ。

村全体で30年ほど前から無農薬栽培を続けている春日村。
在来種の茶園は、不揃いな丸い茶の木が並び、個性的。

「在来種」のお茶というのは、
ヤブキタなどに代表される、挿し木で育つ品種茶と違い、
自然交配してこぼれた種子から育つ(実生)在来種の茶の木のこと。

「茶」は他個体・品種とでなければ有性生殖が成立しない性質で、
自然にこぼれた種から生える畑には、
葉の色や形、品質の良し悪し、収量、芽の出る時期までも違う、
さまざまな遺伝子を持った木が混在する。
だから、在来の茶畑は色合いが様々で面白い風景だ。
また、在来種は太い直根を地中深くまで伸ばすので、
生命力が非常に強く、樹齢が長い茶の木になり、
地中のミネラルをたっぷり養分にして育つのだそうだ。

小宮神という地区の茶工場。
村には、集落ごとに茶工場がある。

 

2階建てになっている建物の、1階部分に生葉を入れて、
ベルトコンベアで二階の蒸し器に投入する仕組み。
煎茶は、簡単に言えば、生の茶葉を蒸して、
揉んで、乾かすと言う行程を経て、つくられる。
深蒸し煎茶は1分弱ほど蒸したあと、
粗揉(そじゅう)、揉稔(じゅうねん)、
中揉(ちゅうじゅう)、精揉(せいじゅう)、
乾燥などの手順を経て完成する。

 

お茶は、全てツバキ科の常緑樹「チャ」の葉から作られて、
加工方法の違いによって、緑茶、ウーロン茶、紅茶などになる。
緑茶は、お茶の葉を摘み取ってすぐに加熱し、
発酵させないようにして作られ、その中でも製法によって、
煎茶、深蒸し煎茶、玉露、かぶせ茶、番茶、抹茶、
ほうじ茶、芽茶、茎茶などなど様々な種類のお茶が作られる。

 

小宮神の茶工場では、
今はおおよそ深蒸し煎茶しか作られていないと、山田さん。
この地域でも、どんどん茶を摘む人が減ってきて、
ここも1年のうち1週間程度しか稼働していないという。

お茶の美味しい、不味いは何で決まるんですか?
作る過程?それとも育てる場所ですか?

 

「面白い質問ですね。
まず、「美味しい」というのはとても主観的な感覚だと
いうことがあるのですが、「美味しい」を数値化するには、
アミノ酸だとか、カテキンだとかそういう成分になりますよね。
まず、アミノ酸を見ると、例えばヤブキタという品種は、
それまでにあった色々な品種から、
アミノ酸的な成分が多い株をより分けて作った品種なので、旨味が多い。

 

いわゆる品種のお茶には旨味の多いものが多いですね。
あとはどうやってアミノ酸を増やすかなので、
肥料や育て方の工夫をするんです。
もう一つはかぶせ茶とか玉露は覆いをすることで、
根っこにできたアミノ酸を葉っぱの中でカテキンに変化するのを
抑えているので旨味が強くなるんです。

 

飲み方も大事です。
60度くらいで飲めば、
アミノ酸を抽出しやすいので、
旨味や甘味が引き立ちます。 

 

お茶って、お茶っぱの量と、お湯の量、温度、入れる量によって
ある程度コントロールできると思うので、
言い方を変えるとその人が美味しいと思うお茶って、
どんなお茶からでも作れるんですよね。

 

じゃあ春日のお茶ってどうなのかというと、
春日の人って、比較的苦渋みの強いお茶が好きなんです。
畑仕事から帰ってきて、疲れたところに渋いお茶をキュッと飲む。
だから、ここのお茶は「熱湯を注ぐ」って書いてあることが多いです。

でも、在来茶に熱湯を注いでしまうと、
苦渋み以外の何者でもないんですよね。笑。
僕もそれが美味しいのかなって初めは思っていたんだけど、
ちょっと待てよと。
一応日本茶アドバイザーの勉強もしたので、
知識を生かして低い温度で入れてみたらどうかなって。
そしたら、ヤブキタほどじゃないけど旨味がちゃんとあるんですよ。
名古屋は茶所で旨味のあるお茶に慣れ親しんでいる人が多いので、
そういうところではできるだけ60度前後の温度で淹れてねって
おすすめしてます。雫茶もいいですよ。」

 

やっぱりお茶は生きものなんだと、山田さんの話を聞いて思う。
一言に「茶」といっても、
育てる人、作る人によって全く異なるものになり、
また、消費地の風土に合わせた楽しみかたがある。
地域のお茶を生かすも、殺すも、
生産者とそれを買い支える人の関係性次第だと思った。

昭和40年代頃から急速にお茶の品種化が進み、
現在では全国の茶園のほとんどはヤブキタなどの品種茶園。
日本古来の実生在来茶園は国内にほんのわずかしか現存しない。

 

在来のお茶自体は岐阜県の色々なところにあるんですか?

 

「あると思いますけれど、高度経済成長期に、
日本全国でやぶきたへの品種の植え替えを進めたそうで。
それ以前は平地でも在来種は栽培されていたんですよ。
今でも少し残っているところはありますけど、
春日ほど集まっているところはないかもしれないですね。」
と山田さん。

 

その理由としては、春日村は坂が多い地形のため、
植え替えが大変だったので、そのまま残っているのだという。

お茶を茶業者に売るには、ヤブキタの方が高く売れる。
在来のお茶は味の特徴が定まらず、淹れにくい。
そのため安定したブレンドができないのが大きな理由。
けれど、そこが在来茶の魅力でもある。
自然の味を、雑味も含めて楽しむことができるのだ。

茶園を案内してもらう。
ギシギシきしむ細い吊り橋を渡って、山道を進む。
ちょっとした山歩きのような道のりで、
舗装されていない道は、土と落ち葉で滑りやすい場所も多い。

畑と言っても、茶樹が山の斜面に這いつくばっているような具合で、
急襲な斜面と細い山道には徒歩でしか入れない。
どうやってそこで作業をするのかと不思議に思うような畑だ。

 

お茶を運ぶのは、動力運搬車と言って、
キャタピラーのついた機械に乗せていくのだというが、
この細くて急な山道ではそれすらどのくらい大変なことかと思う。
(しかもその作業は70歳を超えた方がしているのだ。)

 

ここの畑は、持ち主は10人ほどいるけれど、
実際に作業をしているのは2人だけだという。
高齢で畑に出られないというのが切実な理由。
70代でも若いほうだというけれど、
どの地域にも高齢化という悩ましい問題がある。

 

脇を流れる川の水は美しく、途中に小さな滝もあった。
山道には、自然にこぼれ落ちたタネから
芽を出しているお茶の木が所々に生えている。

狭い山道、急襲な斜面。大きな機械は入れられない。
バリカンと言って一人用の小さな機械か、
そうでなければ手バサミで茶摘みをする。
お茶はだいたい90日で新芽が出てくるので、
八十八夜の新茶、7月の2番茶、9月の三番茶と、11月の秋冬番茶、
年に4回くらい摘むことができる。
この畑もちょうど新茶を摘み終えたところで、
このまま放っておけば、7月にはもう一度茶が摘めるという。

 

道すがら、伊吹山が綺麗に見えた。

山田さんは、ほったらかしの畑を見つけては、
茶園の「お守りをしている」という。

在来の畑は畝が真っ直ぐでないところが多く、作業をするのも効率が悪い。
草を抜くのも、茶摘みをするのも大変手間がかかる。
特にシダは地下茎で増えるので、根っこごと抜かなければならない。
年中草との戦いだ。

 

「ほったらかしの畑があまりかわいそうなので、
ちゃんとお茶を作りましょうと。
でもお茶ができたら、売らなきゃならないよね。
でも最初から自分の畑で売るものはないので、
組合のお茶を売りましょう、ということで始めてるんですよ。
だから、畑を借りているというんじゃなくて、
お守りをしていると思っている。
そこで取れたお茶は組合のものだから、
僕は組合からお茶を仕入れて売っているんです。」

 

3年前から山田さんは、この畑を整備して、シダを抜いて、
お茶が摘めるように手入れをしている。

 

「僕としては、ここの茶をもっと作って、お茶を売りたいなと。
そのためには、まぁ、自分だけではどうしようもないので、
知っている人を増やしたいなぁと思ってる。」

 

そういう山田さんの口調はのんびり。
でも実情はのんびりなんてものじゃないのは想像にたやすい。
「耕作放棄地をお守りする」ことは、文章にしてしまえば一言だけれど、
実行するのは簡単なことじゃない。
半端な興味や志では続かないだろう。
まさに「売茶翁」の修行のようだなと、思った。

「おい、お茶やっとったんか、一人寂しく。笑」
そう言って話しかけるのは、田んぼで作業をしていた地元の男性。
畑に通い続ける山田さんのことを、
地域の人はみんな見ているのだ。
いわゆるよそ者が、継続して行動することで、
地域に受け入れられている証拠だ。

これからも、この村ではどんどん高齢化が進み、
耕作放棄茶園は増えていくだろう。
決して高く売れるわけではない在来のお茶を、
志だけで守ることができるのか。
ざっと想像するだけでも、課題はたくさんあるが、山田さんは明るい。

 

そんな中、最近は新たな試みもはじめたという山田さん。
これまで見向きもされていなかった「茶の実」の活用だ。

茶の実オイルは、今ではあまり知られていないが、
椿油と同様に、古くから日本人の肌や髪の手入れに使われて来た油。
それを、春日村の茶の実で作りたいと、活動を続けている。

取材中、いろいろな話を聞いた。
1600年代の半ばに書かれた旅行記のこと、
織田信長が宣教師に銘じて伊吹山に薬草園を作らせた話など。
山田さんの話はお茶の話にとどまらない。
古い昔の書物からたどる地域の歴史や文化の話も面白く、
地域に対する愛を感じる。

 

いろいろな話を聞きながら、美しい風景を眺める。
ゆっくりとお茶を飲む時間は贅沢で、この時間こそが、
その味以上に、お茶の作り出す魅力なのかなと思うに至る。

 

最後に、お茶畑が耕作放棄地になってしまうと、
一体何がデメリットなんでしょうか?と聞く。
少し意地の悪い質問だったかもしれないが、
ここで生まれたわけでもない、定住するのでもない山田さんを、
ここまで動かす原動力は何なのか、
その片鱗を知りたいと思ったのだ。

 

「まず、美観を損ねますよね。
それから野生動物が住んでしまうので獣害が発生しますね。
でも、そうだなぁ…。
一番は僕の多分、個人的な自己満足かもしれない。」

 

そう言う山田さんは遠くを見ている。
言葉にしない何かがあるようだったけれど、
それ以上は聞かなかった。
今はまだ、結論が出ないのかもしれないと思ったからだ。

 

日本のどこの田舎にも、高齢化や時代の流れによって、
個人の力ではどうにもならないような課題が山積している。
地元の人には見向きもされず、消えていく良いものもたくさんある。
でも、山田さんのように外の風が吹き、
小さな種から芽がでることで、蘇る土もある。

小さな風かもしれないけれど、確実に、
少しづつ蘇る茶畑が人を動かし、
地域を動かしていくのかもしれない。

杉崎学さん『味を支える油』

2015/12/27

Manabu Sugisaki
Artisan of rapeseed oil / Nishio, Aichi
Photo Masashi Kuromoto
Writing Misa Sato

透明な、黄金色の液体。
鼻をくすぐるような、炒ったピーナッツのような甘い香り。
コクと旨味。
油の味にこんなに衝撃を受けるとは思わなかった。
これまで油を調味料のひとつとして数えていなかった事を、
猛省したのが「ほうろく菜種油」との出会いだった。

その後、毎日の食事で使い続けるうちに、
フライパンに少量垂らすだけの油でも、
料理の味を大きく左右するのだという事を実感した。

「ほうろく菜種油」は、お茶どころで有名な愛知県西尾市の
小さな搾油所でつくられている。
ここで油を絞る職人の杉﨑学さんとの出会いは、
販売元である自然食品店・りんねしゃの飯尾さんから
菜種油のパッケージをリニューアルしたいと
相談を受けたのがきっかけだった。

飯尾さんが生産者を訪ねるというので、
興味本位で同行したのがはじまりだ。

「ほうろく屋」の工房は、きっと
皆さんが想像しているよりも小さくて驚くと思う。
菜種の、焼きたてのクッキーのような甘い香りがする工房で、
焙煎から搾油、瓶詰めまで1人で行う杉﨑さん。

夏は室温が42℃ほどになるという工房は、
暑くてもエアコンを極力入れないで作業する。
室温が高い方が良い油を搾ることができるそうで、
一度窯に火を入れたら12時間、
焙煎、搾油、油かすの粉砕という行程をずっと繰り返す。

菜種油ができるまでの行程はいたってシンプル。
原料を天日干しして選別し、窯で煎って搾る。
文章にするとそれだけの事なのだが、
そこには職人の手仕事でしか生まれないさじ加減があり、
オートメーション化できない作業ばかりだ。

 

原料である「菜種」は、その名の通り菜の花の種。
原料はすべて愛知県産にこだわり、
特定の品種を近隣農家に育ててもらっているのだという。

「僕が先代から機械を譲り受けたときは既に、
油搾りは産業として衰退しつつあったし、
地域の使える菜種はたった500kg程しかなかった。
到底油を搾れる量ではなかったし、当時は関係者に
「国内、まして地元に原料がないのにどうするのか」
「やめた方が良い」
「小さな製油所が廃業していく時代なのに、無謀だ」
などと反対された。
それから5年間農家に頼み続けて、
やっと今年24トン作ってもらえるまでになった。
これでやっと工房を運営することができている。」
と杉崎さん。まさに情熱が花を咲かせた結果だ。

収穫した菜種は天日に干してから唐箕(トウミ)で選別する。
唐箕というのは麦や米の籾殻を選別して取除く農機具。
ハンドルを回し、風の力で選り分ける。
菜種の輝き、甘味、旨味にこだわるから、手間を惜しまない。
選ばれた種はぷっくりとして良いかたち。
青みがかった黒い小さな粒から生命力を感じることができる。

 

「ほうろく屋の油は、生きている油なんだ。」
取材中、杉﨑さんは何度もそう言った。

 

選別した菜種を焙煎するのは、
「ほうろく屋」の屋号にもなっている、
「ほうろく釜」と呼ばれる鉄の釜。
杉﨑さんが大切に守るこの焙煎器は、
先代の喜八郎さんから譲り受けたもの。
世界に一台しかない、オリジナル設計の釜は、
先代が地元の鋳物屋さんに依頼してつくってもらったという。
工房のある西尾市は鋳物産業が盛んな地でもあるから、
ここにも地域の繋がりを感じる事ができる。

 

サラサラと音を立てながら、焙煎機の中で回る菜種の粒は、
握るとしっとりあたたかい。
種の一粒一粒がパンと張って、主張しているのが伝わって、
杉﨑さんの言う「生きている」を感じられるようだ。

油の善し悪しを決める「焙煎」。
遠赤外線効果で芯から熱を通す薪焙煎と手作業にこだわる。
1回の焙煎は40分くらい。
釜の様子を見て、種に触れて温度を確認し、
薪をくべたり、圧搾機の面倒をみたりと忙しい。
杉﨑さん曰く、焦げるか、焦げないかの
まだ“生きている”状態で仕上げるのが一番のコツ。

 

菜種油は温度を上げれば上げるだけ歩留まりが良くなる。
つまりたくさんの油を絞る事ができる。
しかし、温度を上げすぎて焦げてしまったものは、
湯や薬品で洗って後処理をしなければならない。
一般的なガス火による大量生産では、135℃まで焙煎をする。
そうすると菜種から焦カスなどの不純物が出る。
大手メーカーの油はそれを取り除くため、
たくさんの化学製品をつかって精製されているものが多く、
そうでないものも湯洗いという方法で、
不純物を取除く作業が行われているものが殆ど。
しかし、杉﨑さんは一切それをしていない。
つまり焦げない温度(約80℃。生搾り油に至ってはなんと60℃!)
で焙煎をしているのだ。

 

焦げない温度で焙煎することは、
生産効率から言うと非効率的に違いないが、
菜種の持つ香りや旨味を最大限生かすことができ、
酸化に強いコシのある油をつくることができる。
生産効率よりも品質を重視しているのがほうろく屋なのだ。

「僕は自然の力で油をつくりたい。
ほうろく屋の菜種は“生きている”ものだから、
焙煎の時に油を殺さないことがキーポイント。
“昔ながらの”とか“搾絞り”と表記をすれば、
油は売れる時代だけれど…いくら昔ながらの方法でも、
職人がいなくてマニュアル化されてしまっていては、
そこには全く意味がない。
菜種は採れる畑によっても、その日の気温によっても、
水分量が違うから、職人が目で見て、触って、五感で感じて、
そうやって判断する事に意味がある。」
木のヘラを使って菜種を潰し、焙煎具合を確かめる杉﨑さん。
このヘラも、先代から受け継いだ大切なもののひとつだ。

手仕事にこだわる杉﨑さんの油づくりは、
一粒の菜種の命も無駄にしない。
選別ではじいた種も搾油し、チェーンソー用の油にしたり、
福井県の永平寺に灯籠の油として奉納している。
チェーンソーの油は使用する際に土に落ちるのだが、
自然につくる油ならば環境を汚さないのだ。

油を搾った後の油かすも素晴らしい。
薬品を使えばもう一度搾れるところを、一番搾りにこだわる為、
ほうろく屋の油かすにはたくさんの栄養が残っている。
盆栽愛好家やこだわりの農家、果樹園や平飼い養鶏の飼料など、
注文が絶えないのだそう。

杉﨑さんは「二代目ほうろく屋」を名乗っているのだが、
先代とは血縁関係ではない。
少し変わった経緯で油を搾る職人に至っている。
若い頃はいわゆるやんちゃだったという杉﨑さん。
人に遣われるのは嫌だと20代で会社を興し、
遊ぶには困らない生活だったが、そんな生活に疑問を感じ、
30代で会社をたたんだ。
お金ももたず、自分の事を知っている人のいない島で、
お年寄りの手伝いなどをしながら、便利屋のように働き、
そこではじめて人の為になることの喜びを感じたのだという。

 

その後杉﨑さんは精神障害を持つ子供たちを支援し、
生活の糧となるための作業を探し、
たどり着いたのが先代・喜八郎の営む大獄製油所だった。
地域の小さな製油所が潰れ、
ほどんどの企業が薬品抽出法に切り替わって行く中、
後継者のいない製油所の技術が途絶えようとした時に
声を上げたのが杉﨑さんだった。

 

「先代の仕事を手伝ううちに、奥さんのつくるまかないが、
いつもとても美味しい事に気がついた。とくに揚物は絶品。
聞けば特別な調理は何もしていない。
そこで油という調味料のすごさ、
日本の伝統職人の素晴らしさがはじめてわかった。
これは、途絶えさせてはいけないと思った。」
杉﨑さんの情熱は先代の心を動かし、
60年守り続けた伝統の製法とともに、
世界に1台のほうろく釜を受け継ぐことになったのだ。
先代はその後すぐに他界し、
杉﨑さんは1人で油を搾り続けることになる。

焙煎した菜種は、圧搾機にかけられる。
ぐんぐんというベルトの回る音。
機械の横に付いているプレートには「S33、7月製」の文字。

 

「昔は小さな製油所がたくさんあった。
西尾~名古屋もいれると30程度かな。
このダブルエキスペラーという機械は、
お父ちゃん、お母ちゃんの営む小さな製油所でも
使いやすいように設計されたもの。
これを使うという事は、
昭和33年の、当時の油を再現できるということでもある。」

 

製造メーカーはすでに廃業し、
機械のメンテナンスができる職人も高齢。
もうあと2、3年もすれば、
機械を直す事すらできなくなるかもしれない。

「今でこそ、サラダ油は安いけれど、
昭和の時代の食用油はもっと高価なものだった。
だから油をたくさん使う天ぷらなんていうのはご馳走だったし、
油は本当はもっと大切なものだった。」

 

杉﨑さんの仕事を見れば、確かにその通りだと思う。
考えてみれば当たり前のことだけれど、
小さな菜種の種を選り分け、干して、搾って…
人の手で、手間ひまかけてやっと少し分けてもらえる
大地の恵みのようなものなのだ。

「ほうろく菜種油は、あくまでも、
日本の昔からの“普通の油”だということが大切なんだ。
こちらが特別な油なんじゃなくて、
周りが変わってきてしまっただけ。」

 

 今はスーパーに行けば数百円でサラダ油が買える。
それがどういう意味なのか、少し立ち止まって考えてみたい。
「手を抜くところはたくさんあるけれど、
どこか1箇所でも手を抜いたらすべて品質に出る。
だから一切手を抜かない。
毎日同じ事を妥協せず、
死ぬまでやりつづけられるかどうかが職人たるもの。
油がいくら売れたって、工房を大きくするつもりはない。」
まっすぐな目で杉﨑さんは言う。

 

この数年間、ほうろく菜種油の知名度も少しずつ高まり、
たくさんのお店に並ぶようになった。
2015年には雑誌「料理通信」の企画で
“世界に自慢したい食材9品”に選ばれた。

 

しかし、すべてが順調というわけではない。
菜種を栽培する農家は高齢化が深刻で、
これからも油を搾り続けていくため、
杉﨑さんは菜種の栽培にも取り組んでいる。
地域の農を生業にしたいという若者と一緒に、
菜種をつくっていきたいのだと話してくれた。

 

また、今年は菜種が不作で、
来年は十分な量の油を絞る事ができないのだという。
そんな逆境に揉まれながらも、杉﨑さんの熱い想いは止まらない。

「先代は伊勢神宮にも奉納するほどの椿油の名手だったから、
僕も日本一の椿油復活に取組むのも今後の目標。」
杉﨑さんの目標はまだまだ広がる。

「ほうろく菜種油」には3種類のラインナップがある。
「伝承」「荒搾り」「生搾り」
それぞれに個性のある味わいなのがおもしろい。

 

「伝承」はその名の通り、先代から受け継ぐ伝統的な製法の油。
焙煎、圧搾のあとに油を濾過し、
もう一度火を入れて油のコシを強くする。
加熱に強く、酸化しにくいのが特徴で、
この油で揚げ物をすると本当においしい。

 

「荒搾り」は杉﨑さんとりんねしゃの飯尾さんが、
二人三脚で作り上げたこだわりの油。
油を搾ったあと、2週間寝かせて自然の力で不純物を分離させる。
要するに油の上澄みの部分だけを掬いとった贅沢な油だ。

 

そして「生搾り」は焙煎方法がすごい。
60℃以下の低温焙煎という方法で、ほぼ生の状態で搾油する。
これは、利益を考えるととんでもないやりかただと思うのだが、
それを製品化してしまう情熱の賜物だ。

おすすめ料理はいろいろあるけれど、
シンプルに使うのが一番おいしい。
ジャガイモや根菜類を素揚げに。パスタのベースに。
おひたしにさっとかけても、
野菜をゆでる時のお湯に少したらしても旨味が増す。
もちろんドレッシングやパンにつけたり、お菓子作りにも。

 

私の中での一番は、料理人の中條順子ちゃんが作ってくれた、
ほうろく菜種油の玄米おにぎり。
忘れられなくて自分でも作って食べているのだけれど、
おにぎりをにぎる時に手に菜種油と塩をつけて握るのだ。
これが本当に旨い。

 

油をはじめ、基本調味料の質が料理の味を支える。
こういうことは家庭科の授業や調理学校では
教えてくれないのだけれど、調理技術以前の一番大切なこと。
調味料を選ぶ際、醤油や砂糖には一家言あるという人も、
食用油についてはあまりこだわっていない
という人が多いのではないだろうか。
油を変える事で、料理の質はぐんと変わる。
大げさだと思わずに、一度使ってみてほしい。
1、2回では気づかないかもしれないけれど、
1本使い切るころには、最近料理がおいしくなったかなと思うし、
1年使い続けることで、
「味を支える」の意味が分かってもらえると思う。

◎news  
LABOEAT online shopにてほうろく菜種油の販売を開始しました。

宮本貴史さん『海と山と糀店』

2015/11/07

Takashi Miyamoto
Artisan of Malted rice, Farmer / Nishihazucho, Aichi
Photo Masashi Kuromoto
Writing Misa Sato

「こんにちはー。」
鍵のかかっていない戸を開けて声をかける。
都会にはないこの感じ。
愛知県南部、三河湾の中心に位置する西幡豆町に、
「みやもと糀店」の宮本貴史さんを訪ねた。

 

糀(こうじ)は麹とも書き、
米や大豆などの穀物を蒸したものに、
種麹を付着させて繁殖させたもの。
日本酒や焼酎、味醂、 味噌、醤油、米酢などに利用される、
日本の発酵食品には欠かせないものだ。
少し前に塩麹ブームがあったから、
スーパーにも売っているし知っている人も多いと思うけれど、
糀屋に行った事があるという人はあまりいないかもしれない。

 

自らを「百姓」と名乗る宮本さんが糀店を始めたのは2015年。
これまで何年も、農家として米や大豆、
古代米などの雑穀の栽培を手がけてきた彼が、
ここへきてなぜ糀店をはじめたのか。
そんな話を聞いてみたいと思った。
秋空の下、軽トラックを追いかけて田んぼへ向かう道すがら、
たわわに実る稲穂が垂れる。
季節はまさに収穫の秋だ。

心地良い風が抜ける部屋。
宮本さんの自宅兼工房は古い民家を改築したもの。
額装された写真が置かれてるのが目に留まった。
聞けば写真の専門学校に通っていたのだという宮本さん。
19歳の彼は、写真を撮りながら2ヶ月程インドのアシュラムでヨガと瞑想の旅をする。

 

「そうこうしているうちに、写真を撮る気がまったくなくなっちゃったんだよ。
自分の中で写真を撮る理由がなくなっちゃって。
帰国後も、インドやネパール、タイを何度か放浪した結果、
日本で日本人らしく生きるには、
一体どうしたらいいんだろうということを漠然と考え出した。
その先に、たどり着いたのが農業だったんだよね。
体調を崩していた事もあって、
自分の食べる物は自分でつくろうと思った。
無農薬で農業をしている人のところに通いはじめたのが、
24歳のときだったかな。」

 

写真家を志していた若者が、自分探しの末に百姓になった。
そんな話を聞いてふと、
宗教と自然科学と芸術の一体化を求めた宮澤賢治の名著、
「農民芸術概論要項」が頭に浮かんだ。

「農業が好きではじめたわけではないんだけれど、
毎日労働し、土に触れるっていう事がすっごく気持ち良くて、
体調の悪かった身体がどんどん回復していくのがわかった。
その感覚が気持ち良くて、
それが続いてる一番の理由かもしれない。」

 

そう言う宮本さんの畑はとにかく気持ちが良い。
山に囲まれた田んぼには心地よい風が吹き、湧き水が流れる。
たなびく稲穂の上にはトンボが踊る静かな空間は、
海から少し車で走っただけの場所とは思えない、
確かに魅力的な風景だ。

 

いつだったか、なぜここで暮らすのかと聞いたとき、
山にも海にも5分で行ける距離感の小さな町は、
自然の循環をミニマムに体験できる、
コンパクトさが魅力的なのだと教えてくれた事がある。

山から引いてくる水を汚せば、
それはそのまま自分たちの食べる海の魚に影響が出る。
海を汚せばそれは雨になって山に戻って田畑に影響がでる。
都会では自分の汚した水がどこに行くのか、
想像することは難しいけれど、
ここでは自然とそういう循環が体感できる。
だから好きなのだと話してくれた。

頭を垂れる稲穂に付く黒いものは、
「稲糀」とか「稲霊」と呼ばれるもの。
現代においては、糀をつくる時には、
「もやし」と呼ばれる種糀を買うのが一般的だが、
古代にはこの稲糀を使って酒をつくったという文献もある。

 

写真家志望の若者から「百姓」になった彼が、
今度はなぜ糀屋をはじめるに至ったのか。
聞けば自然なことなのだ。

 

「最初は2、3キロの大豆を作って、
自分用の味噌を作っていたんだけど、
まわりの友人に求められて量を増やしていくうちに、
30キロになって、
日本の発酵文化が大豆と共にあるということを発信するために、
ワークショップをやろうという話になって100キロになり、
それがどんどん増えていって1トンになってっていうふうに、
お客さんのニーズに合わせて量が自然と増えていった。
ほんとうに自然な流れで今に至っているんだよね。
味噌を作っていると、今度は糀も作らなきゃって。
これも最初は自分の家の分だけをつくっていたのが、
多少技術も出てきて、まわりの人の分を作ってあげているうち、
ワークショップのお客さんの分も作る事になって。
今年はそれを越えて販売するに至っている。」

はじめの興味は、ただ純粋に、
自分が買っている糀について知っておきたいという好奇心。
どういうふうに作っているのか知りたくて、
一日お手伝いさせてくださいというところから始まった。

 

「最初の3年くらいは、
まずは自分の1キロ2キロの糀を寝ずに管理したりして、
なんかできたかな、っていうところまでいくんだけど、
でもやっぱりわかんないから、
糀屋さんに手伝いに行って話を聞くっていうのを繰り返した。
そのうちに1キロ2キロを仕込むのも、
何十キロを仕込むのも自分の中で違いがなくなってきて、
寝ずに仕込んだりしなくても作れる方法もわかってきた。
じゃあ本腰を入れてやるしかない、ってそれが今年。」

見えない菌たちと共生している宮本さんの暮らしぶり。
米糀を見せてもらうと、糀の良い香りが部屋に広がる。
もう10年近く味噌仕込みをしているこの家の、
いたるとことに糀菌が住んでいると思うとワクワクする。
この家の漆喰や土壁は自然のものなので、
見えない隙間に糀菌が住むことができるのだという。
糀菌のため、床も米ぬかのワックスにしている。
このこだわりは、まさに糀愛だ。

 

「糀って発酵文化の根源でしょ。
大豆から味噌になったり、納豆になったりっていう流れの、
そのまたいっこ深いところに糀ってものがある。
糀の文化があって日本の食文化は成り立ってる。
せっかく大豆をつくっているんだから、
そこまで自分の手でやりたいなと思い始めたんだよね。」

 

そんな話を聞きながらふと見た本棚。
発酵から人生まで、宮本さんの頭の中がちらりと覗く。

普通、糀屋では問屋を通して原材料を買うことが多く、
どこの誰が作ったものかまではわからないことも珍しくない。

 

「少し高価にはなるけど、
きちんと出所のわかるものを届けたい。」

 

みやもと糀店の糀は素材にこだわる。
豆糀は無農薬・無肥料大豆を使用するものと、
地域の農家が作る生産者のわかるものの2ライン。
麦は完全に無農薬で作っているものを使う。
米も知多で作っている除草剤1回だけ使用のものと、
自家栽培の完全無農薬のものの2ラインを販売予定。
ラインナップを2種類にすることで、地域の生産者も喜ぶし、
原料にこだわっているお客さんにも満足してもらえる。

 

「糀店をはじめたけれど、自分はあくまでも生産者。
百姓の目線で、確実なもの、安全で良いものを提供したい。
夏は百姓仕事を中心にして、農業が忙しくない冬は、
糀を中心に働くっていうスタイルでやっていきたい。
儲かっても儲からなくても、百姓であり続けたいと思ってる。」

 

手間と時間はかかるけれど、そういう方法で、
新しい糀屋のスタイルをつくっていけたらという宮本さん。
みやもと糀店は今年スタートしたばかりだ。

「おいしい甘酒ができたんだよね。」といただいた甘酒。
糀と水だけでつくる濃厚な味がする。

 

「甘酒の味は糀の出来で変わる。
それに、使っている糀菌でも味がかわる。
これは生の糀で作っていて、甘酒用の菌で作った甘酒。
小さい糀店だから、菌の使い分けとかも小回りがきくよ。」

 

そんな話を聞きながら、
久々に食べ物を口にして琴線に触れるという体験をした。
なんと表現したらいいのだか、
おいしいを通り越して、正直すこし涙腺が緩んだ。

 

甘酒は、身体がブルルっと元気になる味。
それもそのはず。
甘酒は、元はといえば米と米麹を発酵させて作る、
日本古来の栄養ドリンク。
江戸時代の昔から夏の滋養強壮に飲まれていたし、
平安時代には甘酒の牛乳割りが流行し、
「醍醐味」という言葉が生まれたというのも聞いた事がある。
夏に飲む甘酒の牛乳割りは、暑さに疲れた身体に染み渡るし、
冬にはすり下ろした生姜を少し加えて飲めば、
身体の芯から温めてくれる。
菌の力は素晴らしい。

日本全国、糀屋はどんどん減っている。
去年西尾市の糀屋はゼロになったという。

 

「でも自分がはじめたから、これで1になった(笑)。
でもまだ地域に根ざしていないし、今年1年がんばって、
次のシーズンには地域に根ざした店舗もつくりたいな。」

 

彼が作っているのは、単に豆や米、糀という物に留まらない。
土を耕し、人と自然の繋がりを循環させ、
地域そのものを発酵させる、有機的な仕事に違いなかった。

オイシイワークス、ある日のお昼ごはん。
虹色米のおにぎりに、甘酒と味噌のタレをつけて焼く。
味噌は宮本さんのところで仕込んだ自家製味噌。
胡麻の代わりにのせたクミンが爽やかだ。
宮本さんの育てた糀は、こうやってみんなの家で発酵して、
繋がっていると思うとまた感慨深いものがある。
一粒の米や大豆からひろがる、
発酵の循環が見えてくる。

 

みやもと糀店

http://miyamotokojiten.com/

◎news  
12/20(日)LABOEATにて宮本貴史さんをお招きしてのトークイベントを開催しました。

篠田康雄さん『珈琲』

2015/10/08

Yasuo Shinoda
Coffee Roaster / Minokamo, Gifu
Photo Masashi Kuromoto
Writing Misa Sato

LABOEATでのコーヒー教室や喫茶イベントでご一緒している、
コクウ珈琲の店主・篠田康雄さん。
篠田さんとアーティストでもある妻の友美さんが主宰する
アートイベント「きそがわ日和」のパーティーで、
食事を用意させていただいたのがきっかけで知り合い、
かれこれ3年が経つ。
最初に会った篠田さんのイメージは、
「ちょっと頑固なコーヒー屋のマスター」だった。

 

初めてお店を訪れるお客さんの8割くらいは、
同じ印象を持つと思う。
コクウ珈琲という店名、豆は深炒り、
都会の喧騒から離れた場所にぽつんと存在する店構え。
相手がお客だろうが、言いたい事ははっきりと言うぞ、
という感じの、頑固親父的雰囲気と毒舌な発言。
最近流行の、いわゆるサードウエーブ系コーヒー専門店とは、
ちょっと距離を置いているように見える、
その人となりを知りたくなった。

篠田さんの店「コクウ珈琲」は、
岐阜県美濃加茂市の木曽川に沿って走る中山道太田宿にある。
元は郵便局だったという古い建物は赴きある佇まい。
静かな店内には現代アートの作品が飾られ、
ユニークな作品が点在するギャラリーのような喫茶店だ。

開業前は街なかに店を出そうと考えていたという篠田さん。
もともとこの場所でお店をやるのには反対してたというが、
建物を見るだけでもという友美さんの勧めで、
物件を見にきたのをきっかけに美濃加茂での出店を決めた。

 

「新鮮だった。すぐ近くに里山があって、川が流れていて、
古い宿場町があるという環境が面白くて。
一宮出身で、今までそういう場所で何かしたことがないから、
単純に新鮮で面白い場所だなって思ったのと、
あと、建物が面白かったので、、、やっちゃった。
ノリで。それで7年目。
よく続いたねぇ、ほんとに(笑)」

 

“毒舌で頑固なコーヒー屋のマスター”の
とっつきにくいイメージとは裏腹に、
フレンドリーな口調で話す篠田さん。
ツンデレ感が魅力的な42歳。

美濃加茂でコーヒー専門店をはじめて7年。
コーヒーとの出会いは、大学生の頃に入り浸っていた
地元の喫茶店がきっかけになったかなと振返る。
ふらふらと、典型的なダメ学生をしていたという20代の頃、
友人に連れられて入ったカウンターのある喫茶店。
暗い照明のバーのような店内は大人の雰囲気。
その店で「お、ブラックコーヒーって旨いじゃん。」と
初めて思ったのがきっかけで通うようになった。
コーヒーはもちろんおいしかったけれど、
何より、学生の自分を1人のお客さんとして扱ってくれ、
1対1で対等に話をしてくれたマスターの存在が大きかった。
大学の授業をさぼって喫茶店に入り浸り、
その後大学を中退してフリーターをしていた篠田さんが
就職先に選んだのがコーヒー専門店だった。

 

いつかは自分で店をやりたいと思いながら、
従業員として働いていた篠田さん。
朝は7時のモーニングから始まり、夜12時までという店では、
とにかく客数をこなすことが求められた。
豆はまとめてどこかの工場で焙煎されたものが運ばれてくる。
ひたすらコーヒーを淹れる毎日。
そこで働くうちに自家焙煎というものがあるんだと知り、
自分でオリジナルの味をつくりたいと考えるようになる。
その後、焙煎を勉強する時間をつくるために、
大手コーヒーチェーンで3年近くアルバイトをしながら、
現在の師匠にあたる愛知県のフレーバーコーヒーに
足繁く通って焙煎を学んだ。

 

ちなみに、フレーバーコーヒーのオーナー中川正志さんは
業界では知る人ぞ知るという有名人。
毎週水曜に配信されるユーストリーム「週間フレーバー」は、
1粒コーヒー焙煎という超マニアック動画から、
焙煎、抽出理論、コーヒー対談まで、
実験的な内容がおもしろいので興味のある人は見てほしい。
篠田さんのルーツが垣間見えると思う。

豆を焼く。
首から下げたストップウォッチとアナログな大学ノート。
淡いグリーンの生豆を焙煎器に入れてから約20分。
1分ごとに温度上昇を記録する。
温度のコントロールで味が変わる焙煎。
毎日の経験の積み重ねが豆の仕上がりに現れる職人的仕事だ。
焙煎器の小窓の向こうで踊る豆の小気味好い音が響き、
豆のはぜるパチパチした音が聞こえてくる頃には、
キャラメルのような甘い香りが漂って、
白い煙とともにザーっと出てくる豆はつやつや美しかった。

 

「焙煎は味づくり、抽出はあくまでもそれを引き出す過程。
同じ豆でも、焼き方次第で味が全く変わってしまうから、
豆は自分で焼いてなんぼだと思う。
全部をわかっていないと最後のカップにはたどり着かない。」
そういう篠田さんの焼く豆は、深炒りが中心。

自身のスタンスと最近のコーヒーカルチャーについて訪ねると、
「昔ながらの自家焙煎コーヒー屋って、煙たがられるんだよね。
コーヒーって難しいとか、よくわからないという人が多くて。
でもコーヒーってそんなに難しい物でも崇高な物でもない。
昔の頑固親父みたいに、
うちのコーヒーに砂糖とかミルクとか淹れるなら飲むな、
とかいうのも良くない習慣だしね。
でも、逆にそれの反動で出てきた今の若い人たちは、
先輩たちの歴史を全否定してやってるっていうのも
僕は気に入らなくって。
今までの良い部分もたくさんあるのに、それを完全に排除して
アメリカ、ヨーロッパ万歳って言うのもどうも気に入らない。
だからそのへんはちょっと毒を吐きつつやっていきたいな、
っていうのもある。」

 

「新しいものがもてはやされて、
先代の良いものが廃れていくのが嫌だから、
自分ができるかどうか分からないけれど、
今まで培われてきた日本のコーヒー文化を引き継いで、
新しい時代に繋げる橋渡しができればなと思う。
昔の日本のコーヒー文化を知らないのは淋しいこと。
品質の良い生豆が手に入らなかった頃から研究を重ね、
努力を積み重ねてきた先輩達のつくってきた物を守りながら、
新しい風も取り入れて店をつくっていきたい。」
と話してくれた。

 

篠田さんの憧れのお店は「大坊珈琲店」と聞いて、
やはりと思う。
東京・表参道で40年近く営業し、
2013年ビルの取り壊しにより惜しまれつつも閉店した名店で、
コーヒー好きで知らない人はいないと言われるほどの店だ。

コーヒーを淹れる真剣な眼差し。
主役であるコーヒーの透明感を引き立てたいからカップは白。

「美味しいコーヒーってどんなものですかね。」
という問いかけに、
「うーん、美味しいコーヒーは、、、分かんないっす。
たぶんずーっと分かんないと思う。
常に自分のコーヒーには不満を抱いてるので、
答えが出ないまま終わって行くのかなと思います。」
コーヒーに関して、自分は天才肌ではないという篠田さん。
天才やカリスマにはなれないけど、
試行錯誤しながら天才に近づきたいという謙虚な答え。

 

商売としては喫茶は決して儲かるスタイルではないけれど、
自分がカウンターに立つ事を大切にしている篠田さん。
「あくまでも喫茶店のマスターでありたい。
自分で焼いた豆を、自分で淹れて、
目の前のお客さんの反応を見れる喫茶スペースは、
コーヒー屋としては手放したくないなぁ。」
生豆がカップになるまでの過程を、
できれば全部自分で手がけたいという強い想いを感じた。

コクウ珈琲の内装を手がけたのは、
お隣の家具工房ヒュッテファニチャーさん。
低めの椅子やテーブル、家具はすべてオリジナル。
少しだけ希望を伝えて、あとは自由に作ってもらった、
という店内はダークトーンでまとめられた落ちつく雰囲気。
以前から、妻の友美さんがコレクションしていたという
アート作品を飾る壁面は広くシンプルで作品を引き立たせる。
コーヒー専門店でありながら、
現代アートの作品をきちんと鑑賞できる空間をつくりたかった、
という篠田さん夫婦。
2010年から主宰するアートイベント「きそがわ日和」では
全国から現代美術作家を招聘し、
地域の川や街をフィールドにしたプロジェクトを展開する。

 

喫茶店と現代美術。
コクウ珈琲は、コーヒー屋の枠を大きくはみ出して、
木曽川、中山道を中心とした美濃加茂市の
街づくりに影響を与えていると同時に、
そこに集まる人とアートの橋渡しもしている。

 

と、これを書きながら、自分で淹れたコーヒーを飲んでいる。
豆はコクウブレンド。
今日はまずまずの出来だななんて思うのだけれど、
やはり篠田さんが淹れてくれるコーヒーには足下にも及ばず。
またお店に行きたくなるのである。

 

コクウ珈琲

http://cocu-coffee.com/

きそがわ日和

http://www.kisogawa-biyori.com/top.html

◎news  
12/8(土)LABOEATにて篠田さんのコーヒー教室を開催しました。

林志保さん『石ころと猫』

2015/09/29

Shiho Hayashi
Ceramic Artist / Tajimi, Gifu
Photo Masashi Kuromoto
Writing Misa Sato

白、黒、グレー、飾らない、石のような質感の急須。
ちょうど2人分のお茶をいれるのに良い小ぶりの急須は、
手に収まりのいいサイズに、切れの良い注ぎ口。
ころんと転がりそうなかたちが石ころみたいだ。

 

「これは犬島で拾った石、これは神奈川でひろった石、これは…」
お気に入りの石たちを見せてくれるのは、陶芸家の林志保さん。
経年劣化したものが好きで、流木や小石を拾い集めている。
石の表情から作品のインスピレーションを得る事もあるという。

現在林さんが暮らしているのは岐阜県多治見市。
全国的にも有名な美濃焼の産地だ。
工房を兼ねた住宅は、長い坂の途中にある。
陶芸の町らしく、陶芸会館や器屋さんが並ぶ界隈から
少しはなれた住宅街の、平屋建ての一軒家に
旦那さんと2匹の猫と暮らしている。

 

柔らかい関西弁で話す様子は軽快で、
チャキチャキしていて気持ちが良い。
自由でしなやか、ふと見ると凛とした姿が猫のような女性だ。
日当りの良いリビング、
林さんの器でコーヒーをいただきながら、
のんびり話を伺った。

 

学生時代を京都で過ごし、
その後東京でアクセサリーデザイナーとして就職したものの、
デザインするだけでは飽き足らなかった林さん。
一から十まで自分で物づくりをしたいと選んだのが陶芸だった。
やると決めたら即行動。
陶芸を学びたいと、
縁もゆかりもない多治見に引っ越してきて早4年。
今はこの町で、土を練り、ろくろをひき、
乾かして、焼成して磨く…。
一から十まで自分の手でものづくりをしている。

彼女の作品はどれも飾り気がないところが好きだ。
食器棚の中で、石ころみたいに、静かにそこに佇む存在感。
料理が盛られるのをじっと待っている感じの器たち。
「何か盛りつけてみたいですね。」と言ったら、
「冷蔵庫にあるもので何か作ってくださいよ。」と言われ、
長芋とアスパラガスを胡麻和えにした。
人の家の冷蔵庫を覗いて突然料理をするなんて、
晩ごはんに押しかけるあのテレビ番組みたいと笑ったけれど、
器に映える白と緑は美しいし、
やはり器は盛ってこそぐっとくる。

工房の棚に並ぶ作品を見せてもらう。
自宅の一室を改装して作った工房は、
整理整頓されていて簡潔。
粘土を入れているという古くて大きな道具箱や、
そこかしこに置かれている石ころやオブジェに趣味を感じる。
彼女の作品をはじめて目にしたのは、意匠研の卒業制作。
器や急須が並ぶ中、ずらっと並んだ陶器の人形を見て、
珍しいなと気になったのがきっかけで、
以来お付き合いをさせていただいている。

 

京都芸術大学では漆を専攻し、
器ではなくオブジェを作っていたときいて納得した。
玄関や寝室の入り口に置かれているのは、
器ではなく陶器でできたお面のようなものや人形。
壁にかかっている丸い花器も、
彫刻みたいな存在感でそこに在る。
作家の梶なゝ子さんの作品が好きなのだと聞いて、
わかる気がした。
まだまだ作りたい作品がたくさんあるという彼女の、
次の作品も楽しみだ。

 

今度遊びにくる時には、
彼女の得意料理だという春巻きをお願いしたいと
リクエストして、おしゃべりのような取材を終えた。